珍しい生ゆばのフルコース料理 ゆば亭 ますだや

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日光縁だより

「男の友情」 船 村 徹 先生 

「男の友情」 船 村 徹 先生 

 会長夫妻が体調不良の為、東京の叔父・叔母・姉・家内の5人で船村徹先生の告別式に参列させていただきました。ステージは、3万本の花で雪の日光連山を見事に表し、美空ひばりさんの「みだれ髪」の音譜が空に舞い、愛用のギター・文化勲章・兄上の遺品に囲まれておりました。
「演歌巡礼」・日本全国全力疾走した先生の最期のステージが「日光連山」だったことに感激と共に深い悲しみが込み上げてまいりました。
 「中学の同級で、下今市駅の材木置場で出会った「矢板線のリーダー」が70年後に文化勲章を受章するとは・・・」当亭会長がしみじみ語っておりました。出会って7年後に「別れの一本杉」をヒットさせ、会長が祝いの手紙を送ると一か月後に大きな車に運転手を連れ「今度デビューさせるんだ」とまだ無名の北島三郎さんを紹介されました。その後も船村先生は成功の階段を駆け上がり、何度も「旧・ますだや」に30人以上のスタッフやお弟子さんを連れて来て下さいました。私が子供の頃、初めて間近で見た「成功者」でした。舞台に次々とお弟子さんが上がり先生の曲を歌い続け、豪華なコンサートさながらでした。母をはじめ私も姉も祖母も、父親は凄い人と知り合いなんだと思い知らされました。その後も会長が困った時は忙しい合間を縫って駆けつけてくださりました。
40年も前から「日本はこれから食べ物で地方を盛り上げる時代が来るぞ」「日光は湯波でPRしろ」とアドバイスをいただき、TVや雑誌で取り上げて下さいました。
 
 先生のメロデイーは色々な「詞」をのせて様々な思いを伝えてくれますが、その根底にあるものは、盟友で「別れの一本杉」の作詞家・高野公男先生への想いそのもののように思います。拳を握りしめ、身体の震えを堪えても、止めどなく流れる涙、悲しみ、怒り、悔しさ。先生の曲は全て盟友との「壮絶な別れの悲しみ」を「心の叫び」を表現したものだと思います。
酔っても酔いきれない。笑っても心底笑いきれない。どうしてここにいてくれないんだ。60年間片時も忘れず思いつづけて・・・
先生の魂の叫びは、1オクターブもの高低差から落とされた音を今度は左右に揺さぶりそれでも「この思いは届かないのか」とばかりに「詞」を超えて奏でる。
苦労ばかりで良い思いを知らずに逝った友のために、
日本人のどこかやるせない魂のために、響き渡ってきたのだと思います。
戦後の日本をメロデイーで必死にひっぱり、悲しい人には寄り添い、苦労してる人を励まし、明日を夢見る人を応援して60年以上。「演歌巡礼」はまさに高僧の法話や説法のごとく「がんばれ、がんばれ」と日本人のこころに響かせてくれました。
 
 強く勢いがあるときは群がり、弱ってくると引き潮のごとく去っていく「人間の性」をも音符に託し、「日本人よ。栃木県民よ。日光よ。俺は線路を敷いたよ。後は君たちの宿題だよ。」と言わんばかりに旅立たれました。

  5月に心臓の手術を行い、9月に茨城で「高野先生没後60年コンサート」・11月文化勲章受章・1月受賞記念パーテイーを行いました。
本当に「徳」を積んだ先生の声が聞こえてくるようです。
「高野、俺頑張ったよ。高野の分も必死で頑張ったよ。『男の友情』果たしたよ。」
「おふくろ、デレスケって言われないように兄貴に負けないように頑張ったよ。」

84年間の素晴らしい人生を、男の生きざまを、最後の最後まで見せてくださいまして有難うございました。
 先生のメロデイーは深く深く私たちの心に響き渡っています。
日光連山を眺めると、照れくさそうに眼を細めてほほ笑む先生の笑顔が浮かび上がります。
  
  船村徹先生、心よりご冥福をお祈り申し上げます。


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2017年02月23日

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